館蔵資料の紹介 1996年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 1996年 > 小原國芳の弓道墨書『當家三議集』
『當家三議集』
(右)表紙(左)奥付
「からだを鍛えるために、こったのが弓。『英語科に入学したというより、弓道科に入学したような』打ち込みようだった。養子先の父が弓が好きだった。加世田(鹿児島県)はもともと武道の盛んなところ、おじに東郷流の達人がいた。4年間の休暇は、養父先で毎日猛練習した。学校(註・広島高等師範学校)に弓のいい指導者がいないので、姫路から赤堀という教師をわざわざ校長に直訴して招いた。広い運動場を月に一・二度借り切って遠的の訓練、威勢のいい矢の音に陶酔した。
昼間だけでは物足らなくて、夜、道場で1人、弓をひいた。的の下に穴を掘って電灯をつける。あたりは真っ暗。森閑とした道場で、やみを破ってパチッと気持ちのいい音がひびく。不思議によく当る。精神を静め、無我の境地にひたるのが小原の性に合った。(中略)学生服より、烏帽子(えぼし)をかぶり、はかまをつけ、片肌脱いだ姿が、学生仲間に親しまれた。成城でも、玉川でも、立派な弓道場を備えた。射初(いぞめ)式には今でも模範演技を買って出る。『姿勢がいいのが取りえ、不思議に今でもよくあたる。ある師範格の人に見てもらったら、四、五段格の腕前とほめられた』と、弓の話なら目がない」。
これは、南日本新聞社編『教育とわが生涯・小原國芳』(1977年11月1日発行)の一節だが、小原先生が生涯を通じてこよなく愛した『弓道』の証しともいえる貴重な資料が学園史料室に保管されている。それが広島時代に弓道の極意書を筆写した墨書である。『日置流弓目録』『日本古義』『矢扱論』『當家弓術左傳集』『射揚的之傳記』『弓矢傳』『奉射的傳記』『弓惣名傳記』『射禮私記』『射術五教』『弓禮之書』『弓禮羽鏡』他四巻があり、これら筆写の巻末には、赤堀先生指導の下にこれを写すと書き添えられ、最後に小原國芳の署名がある。
この墨書が玉川学園にとって価値があるのは、小原國芳の墨書でこれ以前のものは、未だ見つかっていないということ。
弓道を愛した小原先生の若かりし日の雄姿を目の前に髣髴とさせるこれらの墨書を一度は、手に取って見ていただきたいものである。