館蔵資料の紹介 1996年
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『教草 蜜蜂一覧』
木版色刷
明治5年
36.7×52.1cm
わが国の博物館は明治初年に近代学校制度と時を同じくして誕生した。明治4年文部省に博物局が置かれ、翌5年3月文部省博物館として湯島聖堂において博覧会を開催したのである。その背景には当時政府が推し進めていた富国強兵・殖産興業の施策の一環として博物館の設立があったことと文明開化の風潮の中で失われていこうとする古器旧物の保存事業があったことがあげられる。この博物館は当時の諸事業と同じで、その範を欧米諸国に求めたものではあったが、わが国における近代的博物館の第一歩をしるしたのである。
『東京国立博物館百年史』によるとその組織は博物館、博物園、書籍館、博物局となっており、内容的には人文、自然、産業の総合博物館と動物園、植物園、図書館をあわせた大博物館構想といってよい。博物局はそれらを管理するとともに、博物学に関する図書の刊行と標本の製作をおこなった機関であった。
今回紹介する資料は博物局が刊行した『教草』という一枚ものの色刷り木版画である。
明治5年から9年までの間に計34枚つくられている。これらは諸産業の製造過程を子ども向けに図入りでわかりやすく解説したもので、当館では糖製、生糸、樟蟲(げんじきむし)、繊緯草木(いとすじそうもく)、索麺(そうめん)、葛粉(くずこ)、青花紙(あおばながみ)、製茶、蒔絵、白柿(つるしがき)、香蕈(しいたけ)、蜜蜂、べに、澱粉(くずこ)上・下、褐腐(こんにゃく)、豆腐、鷹狩上の20種を収集している。この他には稲米(いねこめ)、養蚕(かいこ)、野蚕(やままゆ)、葛布(くずふ)、苧麻(からむし)、草綿(きわた)、烟草(たばこ)、漆、製紙、油、鷹狩下、草木乾腊(くさきかわかしおす)、草木移植(くさきうつしうえ)がある。執筆は田中芳男、町田久成、丹波修治など博物局や博物館に関係した学者で、画図は服部雪斎、溝口月耕、中島仰山など当時の有名絵師たちであった。
『教草』製作のもともとの目的は明治6年のオーストリアでの万国博覧会に出品のためとされているが、詳しくは万国博覧会の出品のために、政府が各府県に対して物産調査を依頼し、その報告をもとにしてつくられたものである。興味深いのは『教草』の刊行が終わった明治9年に博物館の部会の中に教育部ができ、そこでは児童、生徒に用いる教授具や備品の収集をしていることである。