玉川大学教育博物館 館蔵資料の紹介(デジタルアーカイブ)

教育博物館では、近世・近代の日本教育史関係資料を主体とし、広く芸術資料、民俗資料、考古資料、シュヴァイツァー関係資料、玉川学園史及び創立者小原國芳関係資料などを収蔵しております。3万点以上におよぶ資料の中から、月刊誌「全人」にてご紹介した記事を掲載しています。
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館蔵資料の紹介 1995年

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学校劇「青い鳥」と中原淳一さん

学校劇「青い鳥」と中原淳一さん

「青い鳥」衣装デザイン画

かつて玉川学園10周年のとき、九段会館の前身、軍人会館で「青い鳥」の思い出の国だけを上演した記録がある。それから20年……玉川学園30周年記念の学校劇として 「青い鳥」は昭和34年2月14日~15日に、九段会館ホールで全幕(6幕10場)を通して羽ばたいた。真実の幸福を求めて遍歴する、チルチルとミチルの物語…… それは玉川学園30年の過去と未来の象徴でもあった。

教育博物館には、その時の「青い鳥」衣裳デザインが大切に保管されている。戦後少女雑誌「ひまわり」やファッション雑誌「それいゆ」を主宰し、竹久夢二の昭和版ともいえるヒトミの大きい〝淳一調″の美少女の絵は若者の憧れの的となり一世を風びした中原淳一さんがデザインしたものである。彼は挿絵画家に止どまらず「それいゆパターン」として、コスチュームやインテリアなどのデザインにその才能を遺憾なく発揮した。しかし、淳一さんは「青い鳥」公演の年に図らずも心臓病で倒れ仕事から遠ざかり、45年に隔月誌「女の部屋」を出版してカムバックを果したが、病気再発のため1年で廃刊。その後、療養生活を続けたものの58年4月19日、70歳で帰らぬ人となったのである。

「“玉川の集い”で“青い鳥”をやろうと思うが、衣裳の方を少し手伝って貰えないだろうか、という岡田先生のお電話に、私は受話器を持ったまま目をみはったのでした。『ヘエ!あんな大物を、よく、まあ……』と。然し、当日のプログラムの中で、岡田先生のお言葉を拝見したら、なるほど、と頷けたし、またこうしたものをとりあげようという意欲こそ、玉川のものだという感を深くしたのでした」。淳一氏の夫人英子(元宝塚で女優の葦原邦子)さんは衣裳デザインの依頼を受けた時のようすを「全人」(34年4月号)で以上のように語っている。一方、衣裳を担当した岡田純子先生は淳一さんのデザインについて「全人」(34年4月号)で次のような感想を残している。

「今度は、中原淳一先生にデザインしていただいたおかげで、気持の上ではたいへん楽でした。(いつもなら、いろいろと注文のうるさい連中も、今度ばかりは『淳一先生のデザインですから―』の一言で、おとなしく退却いたしました。(中略)中原先生にはお忙しいのに途中でしつっこく催促したりして、たいへん申しわけないことでしたが、先生の斬新、熟達のデザインには、今さらながらほとほと感心いたしました。素人眼には、わからないデザインの急所が、舞台にのせて見ると、見事な効果をあげていたようで、学ぶところが多くありました」。

No.141 『青い鳥』衣装原画

「全人」1995年3月号(No.561)より

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