館蔵資料の紹介 1995年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 1995年 > 正月の飾り「しめなわ」
(上)注連縄
(下)夫婦岩の注連縄 三重県二見町
かつて日本は生業が稲作を基調とし、稲の生育に応じて収穫祭など、各種の儀式が盛大におこなわれてきました。現在でも儀式に使用される作り物・飾り物はその多くが伝承されており、特に農耕開始に先立つ正月の行事は重要視され、その代表される物の一つに素材が藁で作られた「注連縄」(しめなわ)があります。
注連縄は「しりくめなわ」の略語で、シメは「占める」を意味します。注連縄、標縄、示縄、〆縄、また三筋・五筋・七筋と順に藁を垂れ下げるところから七五三縄とも書きます。 注連縄の歴史を振り返ると、『古事記』『日本書紀』の天岩戸の段に、尻久米縄(しりくめなわ)、端出之縄(しりくえなわ)とあるのに由来し、天照大神を天の岩戸から迎え出し、再び隠れないように縄を引いたと、神話の世界にまでおよびます。
注連縄は神社の鳥居や村境に張られましたが、家庭では正月飾りとして門や神棚、竃(かまど)、井戸、蔵など実にさまざまな場所に儀式として注連縄を掛けます。本来は神前や神事の場、つまり聖域を画す造形物であるため、神聖な場所に不浄なものの進入を禁じ、汚れた世界と遮断し、家の中を清らかにする目的で長い縄をぐるりと張り巡しました。そして氏神様をはじめ、さまざまな神様を家庭に迎え、魔除けの意味があって現在も続けられております。
近年、日本人の伝統的な生活をものがたる注連縄や注連飾りを各家庭で作ることは稀です。注連縄の作り方や飾り方は地域によって新旧いりまじり形態は異なりますが、縄には右縄と左縄があって、必ず新しい稲藁を左縄(左綯い)にします。紙垂の切り方やその数、家の内外に張る縄の張り方、また大根締(だいこんじめ)、牛蒡締(ごぼうじめ)、板締(いたじめ)、輪締(わじめ)と垂れ下げる物による場合、結んで輪にする場合など、一定の規則に従って作ります。このような手法は、農村の人々にとって生活や信仰に欠かすことの出来ない技術として、先人より延々と伝承されてきました。しかし現在のように注連縄より注連飾りだけを戸口に掛けるようになったのはいつ頃か不明ですが、注連縄をより美しい姿にしたのが注連飾りです。伊勢海老、橙、昆布、柿などをつけたのは、新年を迎えるにあたり食品を豊富に貯えて幸福感にひたるためと思われ、家族全員がおなじ家でも新しくなったような爽やかな気持で新しい年を迎えることが出来るのです。
いずれも素朴な「つくりもの」ですが、身近には高度な工芸技術と結びついた物も多 く、その一例として相撲の横網は注連縄が発展した姿と思われます。このように優れた作品も多く残されており、けっして大昔の「もの」ではなく、注意深く探せば我々の日常生活に密着していることがわかります。