館蔵資料の紹介 1994年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 1994年 > 江戸時代の金工技術「波龍紋鐔」
波龍紋鐔
鉄・金
江戸時代(右表・左裏)
7.8×7.5cm
鐔(つば)は刀剣の装具である。『日本書紀』にはすでに「鉄鐔」という語があり、遺物としても古墳時代の太刀に多くみることができる。平安中期に成立した『和名抄』(わみょうしょう)によれば、元来は「都美波」(つみは)といい、留め刃の意味であったという。鐔を装填する目的は、(1)相手の攻撃を受け止める(2)手の滑りを防ぐ(3)刃身と柄とのバランスを取る、ことにある。
材料は一般に鉄を使うことが多いが、そのほかに黄銅、銅、赤銅(しゃくどう)、朧銀(おぼろぎん)なども使われる。大きさはだいたい9cmほどで、形には円形、長丸形、撫角形(なでかどがた)、角形、木瓜形(ぼけがた)、八角形などいろいろある。また透し彫りや象嵌(ぞうがん)などの技法を使い、装飾がほどこされているものもある。穴は中央に刀身が入る茎(なかご)穴、そして右に笄(こうがい)、左に小柄の櫃穴(ひつあな)があく。
はじめ鐔を作ったのは刀工や甲冑師達であった。鐔工と呼ばれる専門の職人や彫金師 によって作られるのは室町時代末期になってから金家(かねいえ)、信家(のぶいえ)といった名工以後のことと言われている。彼らはそれまでの実用を重んじ、頑丈で飾り気のない図案的なものから抜け出し、小さな金属板から壮大な空間や物語を感じさせる絵画的な意匠を取り入れたのである。
写真の鐔は表に波浪と龍、裏に波浪の模様をあしらったもので、鍛えた鉄の板に「鋤(すき)出し肉彫(にくぼり)」という技法で図柄を作っている。この技法は金属板を鏨(たがね)で図になるところを残しながら、地の部分を削りさげて形を作るものである。地の部分を削りとったら鋤き残した部分に模様を入れる。したがって、鏨を入れる前の鉄の厚みは表裏の模様の一番出ている部分を合わせた分以上なくてはならない。職人の口伝によると鋤き出す高さは地金の半分をこえないとしている。これは手触りの関係によるものらしい。
また地の部分は荒し肌仕上げをほどこし、波浪と相まって力強さを表現する一方、龍の眼には径0.5mmほどの細かい金粒を象嵌し、その眼光を際立たせている。江戸時代になると泰平の世を反映して金銀をふんだんに使った華美なものや装飾的なものが多く作られたが、この鐔はどちらかというと鐔工があらわれた頃の重厚さをもった作である。