館蔵資料の紹介 1994年
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『学問のすゝめ』
右は明治4年の初版本
中は明治5年の和綴本
左は明治6年の再刻版
当館には、福沢諭吉・小幡篤次郎同著とある明治4(1871)年版の『学問のすゝめ』が展示されております。この小冊子は、福沢諭吉(1834-1901)が学問の趣意を同郷の旧友に示すつもりで書いたものを、のちに慶応義塾の活字版をもって印刷した初版本であります。この『学問のすゝめ』の中で福沢は真っ先に「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という有名な文句を書いておりますが、「されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人(げにん)もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。その次第甚だ明らかなり。実語教に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由(よ)って出来(いでく)るものなり」とあります。
そして第三編には特に独立の気力というものについて「独立の気力なき者は、国を思うこと深切(しんせつ)ならず。独立とは、自分にて自分の身を支配し、他に依りすがる心なきを言う。自(みずか)ら物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の智恵に依らざる独立なり。自ら心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財に依らざる独立なり。人々この独立の心なくしてただ他人の力に依りすがらんとのみせば、全国の人は皆依りすがる人のみにて、これを引き受くる者はなかるべし」そして福沢が強調しているのは、この内にあって、つまり国内にあって自立心に乏しいものは外国人に対しても常に卑屈になるばかりで、決して対等の交流というものは出来ないということです。
福沢は日本近代の夜明けの啓蒙思想家としてあまりにも有名ですが、しかし彼はただ単にそういった啓蒙思想家として存在したのではなくて、例えば日本で1番最初に株式会社(今の丸善にあたります)を自分の門下生早矢仕有的(はやしゆうてき)にくらせたり、それから出版社を起こして自分の本を売ったり、そういったことを自らの手でやり遂げています。この『学問のすゝめ』も第一編を出したのが明治5(1872)年2月ですが、明治9年にかけ17編まで出しています。各編20万部近くも売れ合計340万部の大ベストセラーとなったのです。自著の出版の収益は三田に移転した慶応義塾の運営にも大きく寄与したのです。こうした自ら持てる能力を最大に活用したこの明治文明の偉大な建設者のこの一書を、変革の時代の一灯としたいものです。なお当館には木版刷の明治5年の和綴本、および明治6年の再刻版等も収蔵しております。