館蔵資料の紹介 1994年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 1994年 > 武者小路実篤筆 三行書および一行書
両書とも昭和44年
紙本墨書
額装
68.3×33.5cm
胸中に自然に湧く言葉を一点一画もおろそかにせず誠実に書くのが文人武者小路実篤の書であり、その言葉に何のてらいもなく、技巧を弄することの全くない字は上手・下手といった評言を寄せ付けない。添書きから三行書は昭和44年5月11日、一行書は5月12日に書かれたことが知られるが、それにしても84歳の老境にありながら、「本当の人間になりたい」、「一歩一歩」とあたかも純真な青年のごとく力を込めて書くその精神は老いを知らないごとくである。晩年の代表作『真理先生』(昭和26年)は主人公の真理先生の周囲に書家の泰山と画家の白雲の兄弟を配し、石と雑草ばかりをかいていた馬鹿一が人間をかくというのが筋と言えば筋といえる小説であり、武者小路の書画論、芸術論とも読める小説であるが、これによれば書にしろ画にしろ一番大事なのはかく言葉、対象であり、人によってかけるものとかけないものがあるのである。
この二点の書は玉川学園創立者小原國芳が有楽町の交通会館で開催された武者小路の書画展覧会を観て求められたものであり、『全人教育』239号(昭和44年7月号)の「身辺雑記」に、「さて、30点か。書に画。徹した人生観、スナオな書体。枯淡と申しますか、清潔な正直な絵。昨今、暇々で、少しずつ絵を描いとる私も学びたいなアとシミジミ思いました。(中略)玉川の教育博物館に、ゼヒ二点ぐらい欲しいのです。喜んで応じて下さる」とある。武者小路は小原國芳の成城時代の父兄であり、爾後、折にふれ小原國芳はこの人生肯定・人間信頼の文人から直接・間接に励まされ力づけられたようであるが、ここで興味深いのは、この時すでに小原國芳の脳裡には教育博物館が存在していたことであり、この二点の書はその本来の正統的な収集品なのである。