館蔵資料の紹介 1994年
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『西国立志編』第1冊の扉
22.5×15.0cm
当館第一展示室のハイケースに明治初期の道徳教科書の一つとしてサミュエル・スマイルズ著・中村正直訳の『西国立志編』が展示されています。「天ハ自ラ助クルモノヲ助ク」の諺ではじまるこの『西国立志編』は、改めて言うまでもなく、福澤諭吉の『西洋事情』、内田正雄の『輿地(よち)誌略』と並ぶ、明治初期のベストセラーとして明治の青少年たちによって広く読まれ、当時の日本で総計百万部ほど売れたといわれております。一方、原著の『セルフ・ヘルプ』(Self-Help)もまた1859年イギリスで初版が発行されるやその年に2万部、1905年までに25万部も売れたベストセラーで、西欧の諸言語、インドの諸言語、アラビア語、トルコ語など世界十数カ国語に訳されました。それが多くの人々の人生を左右する力となり、一時の流行書に終わらなかったことも『西国立志編』と同じであります。
正直は、慶応2(1866)年川路太郎とともに幕府遣英留学生の取締として渡英しますが、一行の留学は、幕府が瓦解したために一年半で中断され、明治元年6月に帰国することになりました。その際に親しくしていたイギリス人のH・U・フリーランドからこのスマイルズの『セルフ・ヘルプ』(1867年の増補版)を餞別に贈られたのです。正直は帰国の船の中でこの本をくり返し愛読し、この本の中にエネルギッシュに活動するイギリス人たちの独立自尊の精神に人づくりの秘密を発見したと信じたのです。
帰国後、正直は静岡学問所の一等教授に任命されますが、この時代に『セルフ・ヘルプ』の翻訳にとりかかり、訳稿ができたのは、明治3年10月25日であり、出版の経費は静岡藩の執政大久保一翁が藩の資金から借り入れてくれ、出版の実務は学校組頭の木平謙一郎がとりしきりました。『西国立志編』が世に出たのは明治4年7月、正直40歳の時であります。
正直はその後、スマイルズの他の著書やJ・Sミルの『自由之理』を訳し、明治6年に江戸の邸内に私学同人社を開校し、福澤諭吉の慶応義塾、近藤真琴の攻玉社とともに東都三塾と称されました。正直は明治8年に訓盲啞院を創立し、また東京女子師範の設立当初から主要な役割を果しました。明治40年、帝国教育会主催の全国教育家大会は、正直を明治の六大教育者として顕彰しています。なお当館所蔵の『西国立志編』は、静岡版と同じ版形の和装本で、全13編を8冊に収めています。この版には静岡版・同人社版にはない望月綱孟玉の序(明治4年5月)があります。他に洋装本の『改正西国立志編』(明治10年刊)も収蔵されております。