館蔵資料の紹介 1994年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 1994年 > ジャック・リプシッツ作『ポンテ・ベッキオ』
『ポンテ・ベッキオ』
ブロンズ
1967年制作
高さ26.5cm
うねるような曲面とそれを支える四本の足、怒りたける動物のような形、タイトルは 『ポンテ・べッキオ』……。
この彫刻の作者、リトアニアに生まれたジャック・リプシッツ(1891~1973)は1909年にパリに移り、彫刻を学んだ。当時のパリは世界各国から芸術家たちが集まり、その活動はエコール・ド・パリという呼称にまで発展した。彼もこの中の一人であった。
はじめ彼は人体をモチーフにした平面と曲面の幾何学的構成によるキュビスムの典型的特徴をもつ作品を制作している。その後1930年頃からキュビスムのかたさが柔らかなフォルムに変化しはじめ、しだいに曲面の構成からなる彫刻へと変わっていった。また当時からギリシア神話をモチーフとした作品をつくりはじめている。『ポンテ・べッキオ』もその延長にあるもので、人が足をのばし、体を屈めて両手を地につけたような形である。膝にあたる部分から上は布のような複雑に折れ曲がる形になり、動物のような感じを受けるが、正面から注意して見ると人の顔のようなものがかくれているのがわかる。無機的なメカニズムが交差するような空間を嫌った彼はキュビスム以後、このような強い情感を盛り込んだ作品を多く制作している。
タイトルは『ポンテ・べッキオ』となっているが、これを語るには世界中が驚き、そして悲しんだ1966年11月4日のフィレンツェについてふれなければならない。
この日の早朝フィレンツェは一カ月以上続いた雨で増水を重ねていたアルノ川の氾濫にみまわれたのである。アール誌の報告では絵画だけでも千五百点が損傷を受けたという。
このためフィレンツェ市、イタリア政府だけでは対策がとれず、各国から援助の手が差し延べられた。なかでもジャクリーヌ・ケネディを会長として、大学、美術館などによって設立された「イタリア芸術救済委員会」では翌1967年までに576億円の募金を集めている。美術家も自作を委員会に寄付し、それがオークションにかけられて募金されている。この時リプシッツも作品を寄付していた。彼は作品を寄付するにあたり、14世紀につくられたフィレンツェのシンボル的存在である橋「ポンテ・べッキオ」を作品のタイトルにしたのであった。
「私の生涯における、あらゆる美術作品との内面的な絶えざるつながりは、人間について、また人間性について多くのことを教えてくれた。私は人間性との接触を保とうと努めた」と彼は言っている。