館蔵資料の紹介 1993年
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『学校通論』箕作鱗祥訳
明治7(1874)年
(上)大坂師範学校蔵版 表紙、見返し
(左下)学校の図 (右下)学校通論巻 第一章
明治新政府は富国強兵策を進めるため、教育の近代化を急務とし、教育制度、理論、方法を確立する必要に迫られ、欧米諸国に留学を派遣したり、御雇教師(おやといきょうし)を招いたり、教育書の翻訳を盛んに行ったりしました。中でも、明治初期は、アメリカとの交流が盛んで、文部省の要職にアメリカからモルレーなどの教育学者を招いたりしたため、教育書の翻訳もアメリカのものが最も多く、他には、イギリス、ドイツ、フランス、オランダのものなどが手掛けられました。ドイツ教育学説は20年代になってから受け入れられました。
ここに解介の翻訳教育書『学校通論』は明治7年にアメリカのウィッカーシャム (James Pyle Wickersham, 1852~91)の著書“ School Economy”1864を箕作麟祥(みつくりりんしょう)が訳したものです。箕作は『学制』の起草に重要な働きをするなど、語学力を生かして、わが国の教育、法律関係に大きく貢献した人物です。
この翻訳教育書は体系的に書かれた、わが国で最初のものとして有名です。本書は学校教育全般にわたっており、師範学校の教科書としても使用され、わが国の教育学及び学校の隆盛の基をなしたとも評価されています。
箕作は本書の緒言で、ウィッカーシャム氏が師範学校長であると紹介しており、氏が実際家であったことが、本書の内容からも、よく分ります。本書の原引に「学校通論ノ旨趣タルヤ学校ヲ以テ生徒ヲ教導スルニ適宜ノ場所卜為ス其斉備ノ方法卜其教導ヲシテ実効ヲ奏セシムル要件トヲ論ズルニ在り…」とあり内容は、○学校の設備(学校の建場所、地所、等級=教導の段階による区別け、課業、家屋、物什、器械、記録)、○編制(一時の編制、永久の編制)、○事業 (学習、復習、運動) ○政務(修身法、賞罰、律法、行政) ○職員(教師、各種の学校職員、人民と学校との接際〔あいだがら〕) について詳述しています。学校の設置から教育する方法まで阻織的に論述したものです。