館蔵資料の紹介 1992年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 1992年 > 家庭教育-女子教育と「しつけ」
幼女礼式教育之図
橋本(揚州)周延
明治23(1890)年
35.6×71.5cm
大判錦絵3枚続
江戸時代の女子教育はほとんど家庭で行われたものでした。ただ家庭では、家業に必要な技を身につけさせた程度で、特に知育に力を入れるということではありませんでした。ほんの一部の子女が、寺子屋で読み・書き・そろばんや裁縫の初歩などを学んだり、お師匠について裁縫、生花、茶の湯、音曲、舞踊などを教わるというものでした。
女子教育のあり方は、階級によって多少の違いはありましたが、共通していたことは、儒教に基づいた三従(幼にしては父に、長じては夫に、老いては子に従う)と四行(婦徳=三従の徳、婦言=女性の言葉遣い、婦容=身だしなみや立居振舞、婦功=技芸や教養)の教えをもとにしました。なかでも、座作進退(礼儀作法)の「しつけ」は、礼儀の厳しかった武士階級は無論、庶民の子女にとっても必要と思われ、重視されました。これらに類する書物は、江戸時代には、200種を越えており、多くの家庭で読まれたと思われます。
明治時代には、写真のような 「女礼式」と称する礼法を教えた錦絵や書物が多数出版され、女子教育が熱心に行われました。江戸時代に武士階級で厳しく行われた子女の 「しつけ」が、明治時代には良家の子女の「しつけ」として、各家庭で相応に実践されました。女礼式はその手引きとして活用されました。
西洋には西洋式の礼法がありますが、日本には日本人の風習、宗教、美意識などから生み出された日本特有の儀礼の形があります。その「しつけ」は「形」から始まり、これに「心」が備わり、自然で美しい立居振舞となることを理想としました。心が軽視されれば、礼儀本来の意味を失うということでしょう。
幼女礼式教育之図(図版・明治23年)
明治時代は幼い時からよくしつけられました。この図では、食膳での食事作法(飯を食い様、吸物すい様、副食食い様など)、茶の進め方、茶と菓子の喫し方、挨拶の仕方など、日本家屋の座敷での作法について図解しています。この図は、幼い子女どうしの作法ですが、年齢が進むにつれ、目上の人に対する作法や、物を扱いながら物に対するやさしい心遣いを徐々に学んでいきました。