館蔵資料の紹介 1992年
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『教育幼稚園之図』
作者不詳
明治32(1899)年
37.2×74.0cm
大判錦絵3枚続
江戸時代は男子は強いことが理想とされ、乱暴さも寛大に見られたのに対し、女子はしとやかであることが良しとされ、跳びはねることなどは悪いことだとする風習が長い間続き、明治期になって、女子の学校体育の実施に際し、親の協力が容易に得られなかった時期もありました。自然、女子の遊びは室内遊びが多く、屋外での活発な遊びは明治中期以降になってから錦絵に描かれるようになりました。明治20年頃から徐々にですが、学校体育がやっと普及し、女子の遊びにも変化が現れ、男女の遊びに区別がほとんどなくなってきました。それに伴って、古い遊びがすたれましたが、人々の共感を呼び、心に残るものは伝統的な遊びとして伝えられました。
教育幼稚園之図(明32年)
これらの遊びは伝統的遊戯の中でも代表的なものです。右から、折り紙(折り鶴)、あやとり、竹返(たけがえし)、おはじき、てまり、羽根つきの各場面です。いずれも、きもの姿で、比較的活発な羽根つき、てまりも、しとやかに描かれています。また、女児の遊びは座って手先で遊ぶものが多かったこともよく伝えています。
折り紙は、初めは宗教や儀礼に用いられ、のちに遊戯折りとして広く愛好され、日本の伝統的な遊びとして普及しました。ちなみに、世界最古の遊戯折りの本は日本の『千羽鶴折形』です(本誌504号に紹介)。折り出した形の美しさと折りの自在性が尊重され、学校教育の中で手工芸として扱われるようにまでなりました。あやとりは平安時代から知恵遊として盛んになりました。竹返(たけがえし)の歴史も古く、江戸時代より前から行われていたものです。おはじきはお手玉と共に古い子どもの遊びで、日本では昔は石、のちに巻貝のキサゴを使い、江戸時代には店頭で売られるまでに盛んになりました。明治末には陶製やガラスのものが出回りました。てまりは日本独特の遊びで、初めは、高く投げ上げて遊びましたが、江戸後期より弾力性のあるまりがつくられ、床や地面に突いて遊ぶようになりました。羽根つきは江戸時代より女児が軒下(のきした)あたりで行う、はなやいだ遊びとして正月風景に彩りを添えました。
これらの遊びによって、子どもたちの手先の器用さ、体の機敏さ、種々のバランス感覚、知恵などが練られてきたことは確かでしょう。