館蔵資料の紹介 1992年
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(上)こども遊びの図
一猛斎芳虎
江戸期
35.6×73.4cm
(左下)子供阿そびたのしみ双六
幾藤亭
明治10(1877)年
37.0×25.0cm
(右下)幼童遊び子越とろ子をとろ
三代歌川廣重
明治元(1868)年
35.8×48.5cm
こども遊びの図(三枚続きの内二枚・江戸期)
たが回し、鬼ごっこ、子をとろ子をとろ、弓矢、縄跳び、ちゃんちゃんぎりや、曲芸こま、当てごま、それに読み書き算盤(寺子屋の勉強)を遊びとして楽しんでいる場面などが描かれており、子ども達はのびのびとして健康そうで、のどかな時代を偲ばせます
子供阿(あ)そびたのしみ双六(すごろく)(明治10年)
双六が子どもの遊びとなったのは江戸末期であり、子ども用は高価な色刷りと異なり、容易に買える素朴なものですが、子どもが親しみ易い内容を描いています。鬼ごっこ、火事ごっこ、開いた開いた(童謡)、お尻の用心、凧あげ、お山のお孤(こん)さん、当て独楽、鍋の鍋の底を抜け(童謡)、羽根つき、ちんちんもがもが、かくれんぼ、けしめん、お山の大将、手まり、めかくし、しおやかめやなどです。
この双六発行の明治10年には、凧あげ、こま回し、羽根つきが交通妨害になると禁止され、徐々に遊びは路地に追いやられました。
明治30年代になると、学校遊戯の隆盛に伴って、開いた開いた、かごめかごめ、二人三足(脚)、ベースボール、フットボールなどが子どもの遊びに加わってきます。
幼童遊び子越(を)とろ子をとろ
江戸から明治にかけてよく遊ばれたもので、親の後に子が連なり、鬼が一人で、最後尾の子をつかまえるという遊びです。鬼に皆が「どの子をみつけ」「サァとっちゃアミイさいなァ―」といえば、鬼は「チィーみちゃァあとの子」と大声で答えるなど、仲間と一緒に呼応できる素朴なよさが伝承されました。