玉川大学教育博物館 館蔵資料の紹介(デジタルアーカイブ)

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館蔵資料の紹介 1990年

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杉田玄白著『蘭学事始』初版本

杉田玄白著『蘭学事始』初版本

『蘭学事始』上・下2冊
杉田玄白著
明治2年
天真樓蔵版
22.5×15.0cm
木版刷
(左)上巻表紙 (右)上巻見開き

写真は、明治 2(1869)年1月に福沢諭吉が出版した杉田玄白著『蘭学事始』(上下2巻)の初版本(木版)です。玄白がこの原稿を書き上げたのは文化12(1815)ですが、刊行本としては本書が最初です。それ以前はわずかな写本があるのみでした。

内容は、杉田玄白が前野良沢らと明和 8(1771)年から安永 3(1774)年にかけて、『解体新書』を刊行するまでの経過と、わが国における蘭学の発展の経過を記した唯一の文献として、文化的に価値の高いものです。

玄白の書いた原稿は杉田家に伝えられていましたが、安政2年の江戸の大震災で焼失し、しかもその写本があったという確証はなく、ただ惜しまれるばかりでした。ところが、慶応3年(幕末)に神田孝平が本郷通りを散歩中、聖堂裏の露店で見つけた古びた写本が計らずも『和蘭事始』で、現在、一般に言われている『蘭学事始』でした。この朗報に福沢諭吉は、発見者の神田の喜びを自分の喜びとして、同志輩に語ったところ、たちまちこの写本が数冊できたといいます。福沢は生きかえった友に会う思いで写本を読み、特に『ターヘル・アナトミア』の実証、訳出、刊行に当たった先人の苦心を思い、言葉もなく感泣したと述懐しています。

福沢は明治元年、杉田玄白の孫廉卿を訪ね「後世のため、先人の辛苦偉業の大恩を空しくしてはならない。今は騒乱の世の中で、この本を出版しても読む者はいないだろうが、出版こそ後世に残す安全策である。出版費用は先人への報恩のため自分に出させてもらいたい」という主旨の心情と決意を訴え、廉卿の同意を待て、翌2年に刊行しました。

福沢が底本とした写本の表題は『和蘭事始(おらんだじし)』でしたが、出版のとき、福沢が『蘭学事始(らんがくことはじめ)』と修正したことで、これが一般的な表題となったことは、よく知られているところです。この読み方は、明治以前は『中華事始(ちゅうかじし)』の例のように、「らんがくじし」が通常であったようで、明治以降に「らんがくことはじめ」という表題になったと思われます。

伝えられた写本の表題には『蘭東事始』と『和蘭事始』の2種類があって、『蘭学事始』はありませんが、原名は、文化13年成立の大槻玄沢の『蘭訳梯航』に『蘭学事始』と書かれていることから、『蘭学事始(らんがくじし)』であったと推定されます。尚、『蘭東事始(らんとうじし)』は玄沢が原著を「蘭学が東(江戸)に来た起源」と解して名づけた、とする文献があります。

「全人」1990年10月号(No.508)より

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