稲毛庄は現在の川崎市高津区から中原区にかけてあった稲毛氏の荘園です.初代の稲毛三郎重成は,父が現在の東京都町田市にあった小山田庄の荘官,小山田有重(おやまだありしげ).母は宇都宮宗綱の娘で,秩父党(秩父を発祥とする武士団)の流れを組む一族です.叔母は頼朝の乳母で,そうした関係から北条政子の実妹を妻に迎えています.
稲毛三郎は奥さんを無くし,悲しみのあまり出家(しゅっけ=お坊さんになること)してこのお寺を建てました.後に馬入川(ばにゅうがわ=相模川に奥さんの供養のために橋を作りました.頼朝さんはこの橋の落成(らくせい=建築物ができること)式の帰りに落馬して,そのまま意識不明となって1ヶ月後に亡くなりました.
鎌倉時代の橋の柱.茅ヶ崎市の下町屋橋のすぐわきで発見されました.柱の間隔から幅21メートル,長さ60メートルの大きな橋だったことがわかりました.この橋が多分稲毛三郎が作り,頼朝が渡り初めをした橋だといわれています.
稲毛三郎の城は川崎市の一番北にあります,館あとは城より5キロほど東にあります.更に荘園のあった井田,小田,稲毛はさらに5キロから10キロ離れています.それらの地域は多摩川の下流の溝口や小杉付近にあります.このあたりは橘樹郡でも最も早く条里田(じょうりでん=律令で決められた区画をもつ水田)が作られた地域です.
創業者が「稲毛三郎」にあやかって名前をつけたスーパーです.川崎市を始め多くのチェーン店があります.ゲンボー先生も時々買い物をします.稲毛三郎さんもあの世でニッコリ.