玉川大学・玉川学園・協同 多賀歴史研究所

 

草戸千軒(くさどせんげん)は現在の広島県福山市にあります.陸上交通の大動脈「山陽道」,海上交通の大動脈「瀬戸内海」,それに内陸との水上交通「芦田川」の交差するところに発達した,平安時代の終わりごろから鎌倉時代,室町時代まで栄えた中世の地方商業都市でした.

私たちは「交通」というと,つい街道など陸上交通のことをイメージしますが,島国の日本は古代から海上の交通が発達していました.鎌倉時代になると海上交通は益々発展し,地方の特産品が船を使って運ばれました.「津々浦々」(つつうらうら)というのは「全国すみずみまで」という意味がありますが,津も浦もともに港のことを指しています.(津とは船着き場のことで,浦とは入り江を意味します)そうした言葉がうまれるほど海上の交通は日常の交通・運搬の手段だったわけです.
草戸千軒は「鞆の浦」と深く結びついた町で,多くの品物が陸揚げされて山陽道で内陸に運ばれたり,逆に内陸部で作られたものが船出して全国に運ばれた中継地(ちゅうけいち=中つぎするところ)だったと考えられます.

上の地図を見て,草戸千軒が商業の発達する立地条件を十分に満たしていることがわかりますか?

では,町の中を歩いてみましょう.

  

芦田川の川べりにあった船着き場です(左)    川底の浅い日本の川を行く船は,底の浅い形をしています(右)

 

  

船着き場の横に積み上げられた米俵.どこから運ばれてきたんでしょう(左) さあ通りを歩いてみましょう(右)

 

  

斜め前には壷屋さんがありますよ.大きいですねえ(左)壷屋さんの中には愛知の常滑からきた壷がありましたよ(右) 

 

  

そのおとなりは魚屋さん.瀬戸内海や芦田川の魚でしょうか(左) さらに向こうは八百屋さん.ネギがおいしそうです(右)

 

  

おや,こんなところに井戸が・・・洗濯物も干してある(左) 鍛冶屋さんは鉄の農具や刀を作っていました(右)

  

鍛冶屋で作っているもの色々.まず「葉のこぎり」(左) ご存じ包丁!(右)

  

鎌(かま)今と同じかたち・・・(左)  釘(くぎ)(右) 

  

かすがい(左)   くつわ(馬の口にかませる道具)(右)


向いのお店にいってみる   お堂のある風景に行く  今の草戸千軒に行ってみる  「発見された遺物」に行く

「鎌倉時代の勉強をしよう」に行く   本物を見に行こう

取材 広島県立歴史博物館 福山市
制作・著作 玉川大学・玉川学園・協同 多賀歴史研究所