草戸千軒(くさどせんげん)は現在の広島県福山市にあります.陸上交通の大動脈「山陽道」,海上交通の大動脈「瀬戸内海」,それに内陸との水上交通「芦田川」の交差するところに発達した,平安時代の終わりごろから鎌倉時代,室町時代まで栄えた中世の地方商業都市でした.
私たちは「交通」というと,つい街道など陸上交通のことをイメージしますが,島国の日本は古代から海上の交通が発達していました.鎌倉時代になると海上交通は益々発展し,地方の特産品が船を使って運ばれました.「津々浦々」(つつうらうら)というのは「全国すみずみまで」という意味がありますが,津も浦もともに港のことを指しています.(津とは船着き場のことで,浦とは入り江を意味します)そうした言葉がうまれるほど海上の交通は日常の交通・運搬の手段だったわけです.
草戸千軒は「鞆の浦」と深く結びついた町で,多くの品物が陸揚げされて山陽道で内陸に運ばれたり,逆に内陸部で作られたものが船出して全国に運ばれた中継地(ちゅうけいち=中つぎするところ)だったと考えられます.
斜め前には壷屋さんがありますよ.大きいですねえ(左)壷屋さんの中には愛知の常滑からきた壷がありましたよ(右)