館蔵資料の紹介 2009年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2009年 > 初度 明治元年戊辰七月五日 輔相岩倉公江御建言写 1冊
長谷川深美(昭道)著
飯島勝名写
和紙
墨書
紙縒仮綴
原本は明治元(1868)年7月5日執筆
縦24.7×横17.5×厚0.8cm
長谷川昭道(はせがわしょうどう 本名深美(ふかみ)1815-97)は、元信濃松代藩士で、明治新政府では軍務官判事試補となった。明治元(1868)年7月に新時代の学政の在り方について、政府の中枢にいる岩倉具視(いわくらともみ)宛に建言書を提出した。本資料は、昭道の次男が写した控えである。
昭道の新時代の国家観は、大義名分を明らかにし、天皇を中心とした皇道にあるとし、そのため大いに学問を興すことを主張する。それは従来の儒学や仏教教学ではなく、皇道の一部に過ぎない国学や神道とも異なる、さらに大きな「神皇ノ太学」、皇学を中心に据えるべきであると説く。その上で和漢洋の諸学の有益な部分を取り入れれば、皇道を盛んにすることができるとしている。
この建言がいれられ、同年12月、公家の学校として京都に皇学所が開かれた。翌年の東京遷都で、皇学所の機能の大部分も東京の大学校に移動したが、これも明治3年に廃止され、皇学の学校は短命に終わった。
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