館蔵資料の紹介 2002年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2002年 > 渡邊崋山画『一掃百態』
木版
1879(明治12)年
名古屋 永楽屋東四郎
2002(平成14)年4月、玉川大学教育博物館の常設展示はリニューアルされ、面目を一新した。とくに第一展示室は、日本の近世以降の教育の流れがわかるように系統的なテーマ展示を試み、導線を明確にしている。
この『一掃百態』にみる寺子屋の図は、「寺子屋」のコーナーの壁面に拡大コピーされ展示されている。この図は、田原藩士で洋学を学び、蛮社の獄に連座して自殺した渡邊崋山(1793-1841)が、洋学の手法による写実主義を採用して、喧嘩をしている子どもや学習に飽きた子どもたちを生き生きと描いた、崋山26歳の作品『一掃百態』のなかの寺子屋の図である。
一斉授業を原則としない寺子屋を、のびのびと学ぶ子どもの様子として肯定的に表現している。『一掃百態』とは、一筆で百態の動作を表すという意味で、庶民の百態の動作を崋山が走筆で描いた見事な作品である。崋山が画を学んだのは、一家の貧窮を救う内職として画を描くためであったといわれるが、晩年の肖像画には『鷹見泉石像』等の代表作があり、終生絵筆を棄てることはなかった。
- ※本図の肉筆原画[文政元(1818)年作]は、田原市博物館(愛知県)が所蔵しており、上記当館所蔵のものは、明治12(1879)年に製作された木版による複製である。