館蔵資料の紹介 2002年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2002年 > 『行条突合セ会席議定』書
「行条突合セ会席議定」大原幽学
天保9(1838)年
紙本墨書
94×28cm
江戸時代後期の大原幽学(ゆうがく 1797-1858)は、同時代の二宮尊徳(そんとく)や大蔵永常(おおくらながつね)とともに荒廃・疲弊した農村復興に力を尽くした突出した農政家である。幕末天保年間に、下総(しもうさ)国(現千葉県)香取郡長部村を中心に、植付・収穫の時期、正条植、肥料の作り方、二毛作などの農業技術や計画的合理的農業経営法を指導した。とくに農地を出資し、その利益を積立てて潰(つぶし)百姓の再興をはかる先祖株組合の創設は、世界最初の農業協同組合といわれ、その先駆的な性格が高く評価されている。
同時に、人間救済の学「性学」を提唱し、名主の書院を教場とし、後には私塾改心楼を創建して、村民の精神の建て直しをはかった。ここに紹介する「行条(ぎょうじょう)突合セ会席議定」書は、性学の教場に掲げられたものである。性学の門人を道友といい、その数は房総だけで天保10(1839)年に500余人いたという。幽学は自らも熱心に講談したが、道友をも演台に上らせ、道友同士で討論をさせ合った。この討論を「行条突合せ」といい、討論の模様を記した『義論集』も刊行されている。この会席議定書は、共同学習・共同討議のルールを記したもので「会席中酒之酔人無用之事 并(ナラビ)ニむだ口 不幕引 差出口 穴さがし 道友之外他人之噂無用之事 附リ 一人発言すれハ 一統静マリ能々味ひ其善悪を分ケ知り……」とある。
『義論集』を読むと、道友たちの求めていたものが、人は何のために、どのようにして生きるか、という人生の根本義だったことが痛切にわかる。これに対して幽学は、村民と同じ高さに立って物事をとらえ、村を構成する男、女、子どもたちそれぞれの会合をもち、教導した。「先生にあふ時は一度々々に心ゆたかに快く、唯穏に成りて、其あふ度に理の知れること、真の闇の夜に足本手本にともし火をかかげたるが如く也」と高弟の一人は証言している。
しかし幽学は生涯、不学を恥じて「自分には人を教える資格はない」と置き書きし、安政5(1858)年3月8日未明、故あって切腹自殺した。現在、干潟町に「大原幽学記念館」が開設されている。