館蔵資料の紹介 1999年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 1999年 > ジーシガーミ(厨子甕)
高85×幅62×奥行44cm
この厨子嚢(ずしがめ)は、沖縄県地方で使用されていた蔵骨器で、石灰岩を加工して作られているため、石厨子とも呼ばれる。蓋(屋根)と身(建物本体)よりなる御殿形を呈しているが、これは死後の世界での生活を考えてのものと思われる。蓋は入母屋造の棟上に擬宝珠と鯱(しゃち)一対を載せるほか、軒先の垂木まで丁寧に彫刻されている。身は内部をくり抜いて容器とし、外面は周囲に香炉と回廊・階段を伴い、また赤色顔料で柱や梁を描くことによって柱間正面四間、側面二間の建物を表現している。また蓋と身双方に墨と赤色顔料で花や唐草が描かれている。
厨子嚢は、南西諸島で行われていた洗骨葬に用いられたものである。洗骨葬は現在ではほぼ廃絶したが、沖縄では第二次大戦前まで最も一般的な葬法であったもので、遺骸を崖下や薮の中に置いて風葬にし、肉と皮が朽ち果てた3ないし7年後に骨を拾い集めて洗い清め、甕に納めかえて納骨したもので、通常は一基の厨子甕に夫婦二体分の遺骨を納めた。
本例では蓋と身双方に墨書銘が認められるが、文字が薄く肉眼での判読が困難なため、現状では被葬者へ結びつく手掛かりが得ることができない。ただ蓋の「大清乾隆20年」の紀年銘が辛うじて確認できるので、1755年頃にこの厨子甕が製作されたか、納骨が行われたものと推定される。なお当館はもう一基、陶製の厨子甕を所蔵している。