館蔵資料の紹介 1995年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 1995年 >江戸時代の技術書『鼓銅図録』
(左)表紙
(中)銀と鉛を吹き分ける図(灰吹き)
(右)銅と鉛を吹き分ける図(南蛮吹き)
江戸時代、わが国は世界有数の金、銀、銅など金属素材の産出国であった。これらの金属は国内で使われるだけではなく、交易を通じておびただしい量の金、銀、銅が海外へ流出していったのである。中でも銅の輸出量は著しく多く、輸出の高まりはしだいに銅産出の規模を増大させて元禄年間にはついに世界一の座についている。その銅産出に大きくかかわっていたのが備中・吉岡銅山、伊予・別子銅山をはじめ日本各地の銅山を経営していた住友家であった。
今回紹介する資料は江戸時代初期から約二百年にわたり鉱山から鉱石を採り、製錬し、 銅地金にして売るところまでの幅広い商いを手がけていた住友家が19世紀のはじめ、享和・文化の頃につくった『鼓銅図録』(こどうずろく)という本である。
内容は住友家が代々伝えてきた銅吹き技術をまとめたもので、「図」と「録」の二部から構成されている。絵図の部分14丁は丹羽桃渓(とうけい)(1760-1822)が描いたもので、銅山での「舶(はく)石(銅鉱石)を採る図」に始まり、山元での選鉱・製錬、大坂の吹所での各種の吹き作業の実況、作業別の多様な用具、製品の秤量にいたるまで、一連の工程が克明に描写されている。このあとに「鼓銅録」と称し、同家長堀吹屋支配人であった増田綱(生年不詳-1822)が前記各工程の作業の詳細を漢文調で説明した文6丁が加えられている。
江戸時代においてはこのような技術を公にすることはあまりないので、本の刊行自体が不思議であるが、洗練された住友の技術を誇ることと宣伝のためというのがこの本をつくった目的であると考えられる。というのも『鼓銅図録』は一度に版行されたものではなく、必要なたびに少部数をつくって住友家を訪れる貴賓に配られたものだからである。かのシーボルトも江戸参府の途中銅吹き所を参観したという。日記には「製銅の小冊子に、鉱より製したる銅の各級の製品を添えて余に贈れり」とある。この小冊子こそ『鼓銅図録』であり、現在はオランダのライデン国立図書館にシーボルト遺品とともに収蔵されている。現存するものは国の内外に数十冊と言われ、わが国の技術史、冶金史、鉱山史を代表する第一級の資料に推されている。