玉川大学教育博物館 館蔵資料の紹介(デジタルアーカイブ)

教育博物館では、近世・近代の日本教育史関係資料を主体とし、広く芸術資料、民俗資料、考古資料、シュヴァイツァー関係資料、玉川学園史及び創立者小原國芳関係資料などを収蔵しております。3万点以上におよぶ資料の中から、月刊誌「全人」にてご紹介した記事を掲載しています。
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館蔵資料の紹介 1993年

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男子教育出世双六

家庭教育-男子の立身出世志向

『男子教育出世双六』
楊斎延一
明治
69.5×46.0cm


維新後、身分制度から解放された民衆の多くは立身出世への道を志向しはじめます。その成功の身近な鍵は勉学して学校を卒業することでした。ここに掲載の双六は当時の最高の出世街道を例示したものです。ただし、学資がない者は卒業できないため、学校を卒業しなくても出世できる道も紹介され、国民の克己勉学の士気を高める努力がなされました。その啓蒙の大きな指針となったのは「明治の聖書」といわれた『西国立志編』(中村正直翻訳・明治3年発行)に負うところが大きかったといえます。明治10年代には、平民の最高学府への進出がめざましく、立身出世熱が益々高まり、『西国立志編』 は新たに改正版が出されました。

この時流に乗ったのが、スペンサーの教育論で、「完全な生活」のために必要な知識とは何かが盛んに論じられ、もっぱら、未来のために克己勉学することが奨励されました。この現象は、ルソーの立場からは、未来のために児童を束縛することだとして批判があったでしょうが、時の勢いに勝てず、かき消され、世間では出世教育が支持されました。

写真の双六は家庭の遊びの中で、青少年教育の啓蒙に一役かったものですが、当時は、 子ども向けおもちゃは、この双六のように「出世」と「教育」を謳い文句にして、盛んに売り出されました。官民ともに、教育の啓蒙につとめたことがよくわかります。

男子教育出世双六(明治中期)
振り出しは「男子出生」から始め、「ここは男子出生のところであり升(ます)、幼少より学問にこころざせば有名人になり升(ます)」と説き、次に幼稚園、学校入門、大運動会、馬術、鳥猟、洋行、卒業、画学、壮士運動、学論、演説、酒宴、と続き、上(あが)りに「国会議事堂」を置き、「さい(才)は生れにありても学ばなければはたらかぬゆへ(え)、勉強して議員となり国のためをすべし」と結んでいます。なお、「鳥猟」欄は暴徒を防ぎ国を治める砲術の心得の大切さを説き、「壮士運動」では、壮年男子に対して散歩(サンデー)は運動の一つで健康によいと説いています(自由民権運動とは無関係)。「酒宴」は交際上の酒の益と過度の害を教えています。

「全人」1993年2月号(No.536)より

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