玉川大学教育博物館 館蔵資料の紹介(デジタルアーカイブ)

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館蔵資料の紹介 1992年

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文部省文書局刊『小学画学書』

文部省文書局刊『小学画学書』

『小学画学書』山岡成章
文部省
明治6(1873)年
22.0×14.7cm
(左上)見返と序文 (右上)線を引く練習の頁
(左下)表紙


写真は明治6年5月文部省文書局発行の図画教科書、山岡成章著『小学画学書』です。

本書は、川上冬崖著『西画指南』(明治4年文部省版で最初の図画教科書)と山岡成章著『図法階梯』(同5年東京開成学校版)と並んで明治初期の主要教科書の一つです。『西画指南』は文章が多く、指導書的であるのに対し、山岡のものは図を主にしており、明治7年以降の各府県の小学教則によれば、上等小学(10歳~13歳・第8級~1級)の第3・2級で図画入門用に『小学画学書』を使用し、第1級で上級者用に『図法階梯』を用いることを定めた所が多く、当時の西洋画指向の図画教育に大きく影響を及ぼしました。

普通教育に美術教育が取り入れられたのは明治5(1872)年の学制公布の時で、下等小学(6歳~9歳)にはなく、上等小学に「罫画大意」(地域の事情によっては「画学」)という科目を設けたのが始まりです。この科目では、幾何学的な直線や曲線を引く練習、図形を書く練習、手本を見て臨画するなどして添削を受け、技を磨くことを主にしました。これは、明治政府の欧化政策のもとで実用的な技術面の摂取に目を向けたためでした。

本書は、西欧の図画教科書を翻刻したもので、手本の絵は西洋の物品や建物のままです。序文に、学習の心得として「清書して批判を受ると筆の運びを覚ゆるとの二ッは書画いづれを学ぶにも肝要」であると述べ、更に癖をなくし、天然の才思を生かすように、と説いています。学習の進め方は、線、面、立体、陰影へと段階を踏ませています。これは、『西画指南』の著者川上冬崖の影響によります。もともと冬崖は西洋画研究を志して幕末期幕府の蕃書調所絵図調の役となり、のち画学局が設けられ、そこの教官になってオランダの学校規則で知った「画学」について調査するなど、明治の洋画研究及び洋画教科書出版の先駆者となった人です。この画学局で山岡は研究生として冬崖の指導を受けており、山岡以降の教科書に冬崖の影響が続きます。

明治10年になって日本の題材を措いた教科書が現れます。また、鉛筆が普及しはじめたのもこの頃です。世は欧化政策全盛期に向う一方で国粋主義が次第に台頭し、10年代後半に鉛筆・毛筆画論争が起こります。因みに、「図画」が小学校の教科名になるのは明治14年の「小学校校則綱領」からです。

「全人」1992年3月号(No.525)より

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