館蔵資料の紹介 1991年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 1991年 > 毛利重能の『割算書』
『割算書』の序文
『割算書』毛利重能著
和装本
元和8(1622)年
13.5×19.5cm
写真は元和8(1622)年に刊行された毛利重能(しげよし)著『割算書』で、現存する刊本数学書のうち著者が判っているものとしては日本最古の書です。現存冊数が少ない希献本です。著者不明のものに『算用記』というこれより 古い数学書があることが最近わかりました。
毛利重能については、生没年も不詳で、確かな文献が少なく、彼自身が本書に「摂津国武庫郡瓦林住人 今京都に住 割算之天下一と号者也 元和8年初春 重能」と書いており、重能は「割算の天下一」を看板に京都で塾を開き、数学を教えていたと思われます。彼の門弟の中から、江戸時代、最も多くの人々に親しまれた数学書『塵劫記』(じんこうき)(1627)の著者吉田光由、『竪亥録』(じゅがいろく)(1639)の著者今村知商、そして「算聖」といわれた関孝和を育てた高原吉種らが出ています。彼が教えた範囲は、本書を見る限り、開平法までの初歩の段階で、それらの手ほどき程度であったと思われますが、教師としての手腕にすぐれていたといえましょう。この意味で「近代日本数学の開祖」といわれています。
本書の序文に割算の起源について「夫割算(それわりざん)と云(いう)ハ寿天屋辺連(しゅてやへれん)と云所に智恵(え)万徳を備(そな)ハれる名木有 此木に百味之含霊(かんれい)の菓(このみ)一生一切人間の初 夫婦二人有故 是を其時二に割初より此方割算と云事有……」と記しており、旧約聖書のアダムとイブの話を引用している点は興味がもたれます。文中の寿天屋辺連はポルトガル語のJudea Belem=ユダヤのベツレヘムのことで、エデンと混同しているようです。この時代はキリシタン迫害が盛んであったことを考えると本書の存在や本人の活動ぶりが不思議に思われます。この書は元和8年版が二種類、寛永8(1631)年の再版や異版があり、需要と発行部数の多さが推察できます。
内容は当時、面倒な割算をそろばんで簡単に行う方法をはじめ、絹布や米の売買、金銀貸の両替、借銀利子、検地、測量などの問題に関して加減乗除、比例、面積、体積等の計算方法を扱う、日常生活に必要な数学でした。中でも特徴的なのは、円周率を3.16(当時の中国の算書では3.14)としたり、曲線に囲まれた複雑な形の面積や体積の近似値を求めるなど、多分に日常的で、和算的な点です。このように、本書は『算用記』や日本人が日頃実践してきた数学をまとめ、それにそろばんを生かした和算書とでもいえましょう。