館蔵資料の紹介 1991年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 1991年 > 近世儒学の祖藤原惺窩の消息
蘐園諸彦会讌図
雨宮章廸画
絹本著色 軸装
61.1×52.0cm
写真は江戸中期の儒学者、荻生徂徠(おぎゅうそらい)(1666-1728)とその代表的な門人7人の会合の様子を描いた絵です。徂徠は古文辞(こぶんじ)学派(徂徠学派)の祖として、独創的な考え方を示し、今日では、日本近世における近代的思惟の開拓者と評価されています。徂徠の学説は一口でいえば、中国古代の制度文物を基準とする復古主義といえますが、思惟方法においては、個性や才能の多様性を認め、近代的人間観を示すもので、学問諸分野の自律性の成立にも大いに関係がありました。次代の折衷(せっちゅう)学派の多くの儒者や国学者本居宣長(もとおりのりなが)(1730-1801)、蘭学者杉田玄白(すぎたげんぱく)(1733-1817)など広範に影響を及ぼしています。彼らは徂徠学を前提に考え、批評し、もしくは否定することで徂徠学を継承しました。
徂徠の古文辞学派は彼の住んだ江戸萱葉(かやば)町、(茅場町)に因んで(萱=蘐)蘐園(けんえん)学派ともいい、門人の数はおびただしく、著名な者だけでも40有余名います。彼は門弟の才を愛し、明快な教授を施す一種の教育的天才を以て知られていました。中でも、太宰春台(だざいしゅんだい)(1680-1747)、服部南郭(はっとりなんかく)(1683-1759)、山県周南(やまがたしゅうなん)(1687-1752)、安藤東野(あんどうとうや)(1683-1719)、僧 万庵(ばんあん)(1666-1739)、平野金華(ひらのきんか)(1688-1732)、宇佐美灊水(うさみしんすい)(1710-76)等が最も卓絶し、これに徂徠自身を加え、のちの人が彼らを「蘐園八子」と呼びました。この八子の会合図は、他にも類似した図柄で伝えられたものがありますが、本図は彩色画で、京都の波羅蜜斉(はらみつさい)の号をもつ雨宮章廸(あめみやしょうてき)(1731-86)の描いたものです。制作年月は不明ですが、蘐園八子のうち最後まで生存した名流、京都出身の服部南郭の死後、間もない頃の作と思われます。その頃が丁度、波羅蜜斉が30歳(1761)で筆の盛んな時期に当たり、加えて、徂徠の人気は尚高く、徂徠の門人のうち真の七才子は誰であったかの論議が起こり、画題にするにはふさわしい時期であったといえましょう。この意味で、本図は「八子会合図」としては最初のものではないかと思われます。なお、今後の調査研究が待たれます。