これまでのゼミ活動
<Disaster Mental Health>
阪神淡路大震災後に日本心身医学会のメンバーとして、鐘紡病院を拠点として初めて震災後のこころのケアに携わりました。当時はまだトラウマやPTSDという概念もですが、臨床心理士という職業も認知されていない時代でした。
2011年3月の東日本大震災発災以来は、在京避難者の方々と県内避難者、主に福島県内の避難者の方々と一緒の時を過ごしてきました。
2012年から在京避難者のサロンで心理相談などを担当し始め、その後複数の当事者団体(被災者の方が作られた団体)を中心に参加させていただいてきています。震災・原発の事故・避難などにより、厖大なストレスがあるなか、お一人お一人が自分の人生を歩まれるのをお手伝いしたいと思っています。とはいえ、避難者の方々に教えられることの方が多く、エネルギーをいただいています。トラウマやPTSDの勉強をする時間もかなり増え、2017年度は、Stanford Universityの客員教授として、National Center for PTSDで研究をしていました。
代表的な団体:東北の絆サロンFMI会、青空会、ふるさとの会(前町屋ミニサロン)、人の輪ネット、ふんばろうふくしま、避難者と支援者によるふれあいフェスティバル、お正月の準備の会in町田、NPOハートフルハートなど
ふんばろうふくしまにおけるふたば音頭
手作り小物販売
餅つき
玉川大学訪問
川内村
長崎大学とのご縁で、2013年に川内村に伺い、当時の井出寿一復興対策課長からご説明を受けました。その後教育学部である私たちにできることは何かを考え、夏休みにゼミ合宿で川内小学校に伺うようになりました。川内村は、福島県双葉郡の中西部にあり、標高約456mと高く、高原のような気候です。福島第一原発の爆発を受けて、3月16日全村避難しました。全村避難解除となったのは2016年6月14日ですが、2012年1月31日県庁で遠藤雄幸村長が「帰村宣言」を行い、「戻れる人から戻ろう。心配な人はもう少し様子を見てから戻ろう」という、帰るか、帰らないのかという2つの選択を迫る形でない宣言を行いました。2012年を復興元年と位置づけ、学校や医療の再開を含め、全ての行政機能を村に戻しました。当然除染を猛スピードでするなどの苦労はあったのですが、帰還において非常に意味のあることでした。2012年10月に天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后両陛下)が訪問されたことで、川内村の名前がたくさん報道されました。
川内村役場
遠藤雄幸村長といわなの郷にて2019.9
ゼミの学生は、川内小学校において、教室で授業を見学させていただいたり、学習の支援、給食を一緒にいただいたり、休み時間を一緒に過ごすなどの活動をさせていただいています。その後放課後に、「ストレスに負けないこころと身体作り」をテーマとし、遊びを通して学生が子どもたちとの交流を行っています。その前後に富岡町はじめ、楢葉町、大熊町、アクアマリンふくしまなどを被災者の方にバスに乗っていただきご説明を受けながら見学をしてきました。地震や津波の爪痕、原発の影響での避難のためにゴーストタウン化した街、復興した施設などを学生たちに自分の目で見て考えてもらい、風化させないことが大切だと考えています。また放射線の健康影響についても学んでいます。
2015.9 川内小学校
2015.9 放課後子ども教室(大体育館において)
2013.7富岡駅周辺の津波被害のままの住宅
帰還困難区域だったために夜ノ森駅周辺の木々が延び放題のために、2階しか見えない住宅
富岡駅
通行止めのサイン
2014.7富岡駅工事が始まっていた
2014.12 転がったままの車
2014.12 住民を助けに向かった消防員が乗っていたといわれる車
2014.12 富岡駅、工事が進み、駅舎がなくなり線路しか見えない
子どもたちとの写真 2019.9
ホールボディカウンター搭載車の前で 2019.9
<都立大塚病院での研修>
児童精神科部長の鈴村俊介先生より、発達障害についての講義を受け、施設を見学させていただいております。4年生になると希望者は、グループによる療育指導に参加させていただき、実践的な指導を受けています。教員になると、発達障害や発達に偏りのある子どもたちとの出会いはたくさんあります。理解した支援ができるよう、学問と実践をドッキングさせた学びをしています。
※大塚病院との協定は2022年度をもって終了しました。
2019.4.25 都立大塚病院にて
2015.7 都立大塚病院にて