発掘はこのように行われていました

小田原中里遺跡

川のあとから

この人が手にしているのは「弥生時代の板の一部」です.たった今,弥生時代の川の跡から出土しました.
2000年間川底に埋まっていたので,真っ黒の泥がついています.  
 しかし,水で洗えば,ほらこのとおり.まるで,さっき削って作ったみたいに新しい感じでしょう.
良く見ると,石器で切った跡や削った跡もわかります.
冷たく湿った泥に包まれていたために保存が良かったのですね.
 
こんなふうに出土しました.(左下)                昔の川の跡です(右下)
 
 
 
泥の積み重なりが良く分かるように,帯にして残してあります.考古学の専門用語で「セクション」といいます.
下の黒っぽい部分が川で,白っぽい傾斜が岸辺です.
岸辺や川底には色々なものが残されています.その中には当時の人々の生活に関係する物も多く含まれていました.
 
 
 
 
ケーキのように土の部分を切り残していますが,当時の木の枝や鹿の角がでています.右側の写真は捨てられた土器の破片です.
下の左は,川底のセクションです.線を引いて分かりやすく土のつもっている状態がわかりますね.考古学の発掘はできるだけ
昔の状態を詳しく,正しく調べて記録に残すことですから,こうした作業が必要なのです.
右下の写真は,枝や土器の破片です.石器らしい石の破片も混じっています.
 
 
 
 
発掘風景
 
住居内の穴を掘っています.何が出てくるでしょう?(左上) ジョレンで土を削り取り色の違いを見つけます.(右上)
 
 
 
 
2000年前の川底を現代人がさらっています.右上が川底ですが,赤っぽい部分が砂の部分で,黒いのが粘土状の土です.
今でも川底は湿っていて土中の水脈になっています.かつてこの川の水で「水田」を作り,洗濯や炊事をし,夏には子ども達が
泳いでいたことでしょう.
 
 
 
 
これは「お墓」のあとです.当時のお墓は集落の中にあったんですね・・・・これは縄文時代からの伝統です.
やがて,社会が発達すると支配者が登場し「古墳」とよばれるデカイ墓を作らせるようになります.
中里遺跡の人々はまだ平等な社会だったと思われます.
 
 
 
 
上の2枚の写真が住居のあとです.隅丸方形(すみが丸い,四角の住居)と呼ばれるタイプで,柱の穴や壁ぎわのみぞがよく
わかりますね.
 
道具
須和田式土器と磨製石器です.縄文土器の影響がありありとわかります.石器は家の柱や農具を作るのに使われました.
 
下の2点が今回問題になった「瀬戸内」の弥生土器です.
 
 

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