農耕がはじまった縄文時代前期(じょうもんじだいぜんき)(6000年前〜5000年前)
縄文時代前期は今よりずっと暖かい(あたたかい)時期でした.どのくらい暖かいかというと.1年を通しての平均気温(へいきんきおん)が今より2度も高かったのです.「なーんだ2度か」と思うでしょうが,冬も夏も昼も夜もぜーんぶの温度の平均(へいきん)ですから,東京が沖縄(おきなわ)と同じくらいの温度と考えれば感じがつかめますね.千葉県の貝塚(かいづか)からは珊瑚(さんご)が見つかっています.海も今より4〜5メートルも高くなりました.このことを海進(かいしん)といいます.ですから縄文時代前期の海辺の村は,今ではすべて海よりはなれた場所から発見されています.
暖かくなると動植物の種類(しゅるい)や数もふえ,それを食べ物にしていた人間の数もふえてきました.なによりも大切なことは縄文時代前期から,植物を栽培(さいばい=そだてること)する技術(ぎじゅつ)が始まったということです.日本の各地の遺跡から様々な栽培植物(さいばいしょくぶつ)の種や花粉(かふん)が発見されています.
左上の写真はこの時代の住居(じゅうきょ=家のこと)を復元(ふくげん=もとのとおりに作ること)したものです.右の写真は発掘(はっくつ=穴をほって調べること)して出てきた住居のあとです.4本柱で四角い形をしていることがよくわかりますね.縄文時代の家は早期から晩期まで丸くなったり四角くなったりうつりかわりがありました.前期は四角いのがふつうです.中期になると丸くなります.
柱は森から切り出してきました.それを加工して木を組み合わせて家のだいたいの形を作り,板でかべを作り屋根(やね)は萱(かや=すすき)で作りました.囲炉裏(いろり)は家の中に作られたので,良く見るとけむりを出す三角形の窓がついています.このような家は夏はすずしく,冬はあたたかでとても住みやすい家でした.
下の写真はこわれた家のかべや柱が見つかったとてもめずらしいものです.
上の写真の遺跡から見つかった「うるしぬり」の土器です.当時の人が高い技術(ぎじゅつ)をもっていたことをあらわしています.写真をクリックしてください.
縄文時代前期の住居は四角いかたちをしています.雪谷大塚は住宅街ですが,その下から5000年前の家が出てきました.
貯蔵庫(ちょぞうこ=食りょうやタネいもをたくわえる穴)でしょうか?測量しています(左写真) 土器が出てきました(右写真)
柱の穴がたくさんあいています.壁には板をはり,床には敷物(しきもの)が敷いてありました.(左写真)
新旧ふたつの住居が重なりあって発見されました.縄文時代の人は何回か家を建て替えたり,移動したためにうしたことがよくおこりました.(右写真)