Guest Speaker
2004年秋学期に開講している「国際理解教育」では、神奈川県県民サポートセンターのコーディネーターの葉石先生、横浜市神奈川区の生涯学習支援センターの学習相談員の高梨先生、神奈川区生涯学習支援センターの学習相談員の鈴木先生をゲストにお迎えし、それぞれの経験や体験をもとに在日外国人や帰国子女のカルチャ−ショックやとまどい、また海外での経験などについてお話をいただきました。すでに、教師養成塾に入り、来年には教師となることが決まっている学生も何人かいたので、将来の教師に必要なことについて具体的にアドバイスもいただきました。
ゲストのプロフィール
高梨先生
英国商社で働いた後、総合物流商社を設立し、国際複合一貫輸送に携われました。英国及びドイツ駐在を含め、25年間勤務されました。その後、再度地域経済学を学ぶ為、横浜の市立大学に社会人入学をされ、 卒業後は地区センターの職員も経験されました。現在は、横浜市市民活動支援センターのボランティアコーディネーターとして働かれながら、大学院で老年学を専攻されています。鈴木先生
一般企業に5年間勤務された後、結婚と同時に退職。13年間の専業主婦の後、区役所(生涯学習支援係)でのアルバイトをきっかけに、地域と関わる仕事に興味をもたれるようになり、妻や母としてだけでなく、自分自身どう生きるかについても考えるようになられたそうです。2000年10月にスタートした横浜市市民活動支援センターでコーディネーターとして勤務するかたわら、玉川大学の通信教育で社会教育を学ばれました。3年半の勤務の後、現在は神奈川区区民活動支援センター(今年9月に神奈川区生涯学習支援センターより改称)の学習相談員として個人やグループの生涯学習やボランティア活動、市民活動等についての相談を受けている。現在も、玉川の通大生で学ばれているそうです。葉石先生
夫の転勤で海外(アメリカ、マレーシア)で8年暮らし、各地で様々なボランティアを経験されました。1998年に帰国されてから、日本におけるボランティアに疑問を感じられ、日本のボランティアのヒントにしようと「私にもできる!ボランティア」というボランティア入門冊子をW.C.M.D.のメンバーと翻訳し、出されました。朝日新聞で(2001年10月12日)に取り上げられています。W.C.M.D.(We Can Make Difference)の代表。T-GAL(Think Globally, Act Locally!)のメンバーとして、オランダ、フランスの視察報告提言集「子育てを社会ひらく」「アメリカの学校と地域を結ぶ学校ハンドブック」(ニューヨーク州エッジモンド)発行、ご自身のお子さま達が帰国子女として苦労された経験(アメリカではよく褒められたのに、日本ではあまり褒められないなど、学校文化の違いなど)から、帰国子女の子供や親がどんな風にほめられて嬉しかったか、褒め言葉集「You Can Do It!」という冊子もまとめられました。また横浜市のボランティアコーディネーターを経験し、現在かながわ県民活動サポートセンターで、アドバイザーとして活躍されています。当日の内容
鈴木先生から、鈴木先生がサポートした子供達に紹介したことのある「葉っぱの会(横浜市の在日外国人の子供達の会)」についてお話していただきました。どの子供にも、子供としての「居場所」が必要だそうです。学校では圧倒的な日本文化に押されているため、同じような境遇の子供達が集ると「自分だけじゃないんだ」とホッとする子供もいるそうです。また、横浜市の学校の校長先生から日本語ボランティアを以依頼され、中国からの子供のサポートをした経験もお話くださいました。様々な問題は、言葉だけではないということを強調され、中国の子供が「日本語名」と「中国語名」の名前を使い分けている現実を説明してくださいました。中国名を言うとイジメられた経験のある子供もいます。また、「中国から来た」とわかると、自分自身に対して興味を持ってもらえるというよりも、「中国では何食べてるの?」「中国では何て言うの?」...と、常に「中国では...?」という中国に関する質問ばかりが集中することが多いのだそうです。そして、「そういう聞かれ方されるのがイヤ!」と感じているのに、「そういう聞き方されるのがイヤなの!」と相手(子供や先生)に伝えることもできないことも苦しかったそうです。もちろん、その子への興味がないわけではないと思いますが、「中国」という部分だけで特別視されることが、その子供にとっては「いつまでたっても特別扱い」という印象を得たのかもしれません(かと言って、その子供の文化をまったく無視して、日本に同化させようとするのも、押し付けがましいことですが)。
色々な子供、感じ方も色々あるので、その子供がどうしたらリラックスして心を開けるか、そのためにはどんな風に紹介したらいいのか、教師も配慮しなくてはいけないのかもしれません。鈴木先生によると、そのサポートもたった6ヶ月で終ってしまったそうです。なぜならば、校長先生が移動されたため、日本語サポートも「新しい校長から依頼があったらまたお願いします」ということだそうです。そのような人事の問題が子供にも影響するわけです。海外に仕事で住むような大人は、「自分の意志で来ている」という意識がありますが、子供達は「自分の意志で来ているのではない」という思いがあります。だからこそ、「いつかは帰りたい」という思いが強い子供も多いようです。色々な学校文化のカルチャーショックがありますが、それをうまく乗り越えていけるように「子供が子供らしくいられる場所」がどの子供にも必要なのだそうです。そのような居場所(環境)の中で、子供達は自然に言葉なども身につけていくそうです。
今後、学生の皆さんが教師となって異文化の子どもたちを受け持つことになった場合、学校側だけで解決が困難な時には地域の相談機関(中間支援組織)=東京都は東京ボランティアセンターや各区のボランティアセンター他、横浜市では横浜市市民活動支援センター、ボランティアセンター、各区の生涯学習支援センター(区民活動支援センター)、横浜市国際交流協会(ヨーク)、横浜市内の四つの国際交流ラウンジ、神奈川県国際交流協会他、に相談することも問題解決に向けてのひとつの方法と考えます。また、インターネット等で多国籍の子どもたちの支援をしている団体等をさがして子どもの居場所を見つけてあげることも可能かと思います。先生一人で悩まないで、地域に協力を求めてほしいということが、鈴木先生から皆さんへのメッセージです。
葉石先生は、海外生活をして帰国した後、帰国子女となった子供達だけでなく、ご自身も「地に足がつかない。」感じで、元気がなくなった頃のお話をしてくださいました。それは、子供達は日本の学校の先生に「褒めてもらえない」ということで、「アメリカではあんなに先生が褒めてくださったのに... 」とカルチャーショックを感じたそうです。元気のない子供を見ていると、親も元気がなくなってしまう。親も日本に帰ると、アメリカにいた頃のように子供を褒めなくなり、そのギャプに子供は混乱するそうです。ある日、知り合いと電話で話をされていた時に、お子さんが褒められたそうです。アメリカにいた頃は、「そうでしょ。ウチの子はこんな良い子なのよ。」と自然に会話できていましたが、日本に帰ってそのまま言うと「親ばか」と思われてしまうので、褒められても「でもねぇ、まだ〜ができなくて... 」と謙遜したそうです。ところが、その会話を後ろで聞いていた息子さんが涙を一杯にして「どうしてお母さんは日本に帰ってから、そんな風に僕の悪いところを他の人に言うの?どうして変わっちゃったの?」と言ったそうです。その時以来、葉石さんは子供の前で子供のマイナスなことを言わないように気をつけたそうです。
日本の学校文化では、みんなと同じところまで「がんばりましょう!」という傾向がありますが、アメリカではその子供のユニークなところ、良いところをうんと褒めていただくことが多かったので、日本に帰ってきてからはこれまでのようなフィードバックが返ってこないことに、お子さん達もなかなか馴染めなかったそうです。また、母国(または滞在国)で成績の良かった子供が、日本に来てから日本語が不十分なために「できない子」のように扱われることで、その子供のself-esteem(自尊心)が傷つけられることもあるそうです。そんな帰国子女を持つ親達が集って、オランダ、フランス、日本の子育てを比較した冊子を出したり、子供達をこんな風に誉めることができるんですよ!と「誉め言葉集」を作ってみた。はじめは、市役所の隅に置いてあったチラシでしたが、新聞で小さな記事に取り上げられてから、「自分の孫のために義理の娘に読んでもらいたい。」など、色々な人達から問い合わせが来て、あっという間にチラシがなくなるようになったそうです。アメリカの学校と地域を結ぶ学校ハンドブック(ニューヨーク州エッジモンド)には、学校のイベントから、ボランティアの必要なクラス、誰にコンタクトを取ればいいのかなどが1冊にまとめられていて、引っ越して来たその日から、地域の学校のボランティアをすることもできるし、ボランティアをお願いすることもできるそうです。日本では「ボランティアをしたい!」と思っても、誰にどうコンタクトを取ればいいかわからない。帰国した当時に、学校に直接電話して聞くと「どのように受け入れをしたらいいかわからないので」と断られたそうです。そのような経験から、日本にあった日本のボランティアを育てて行くためのヒントにしようと、「私にもできる!ボランティア」というボランティア入門冊子を翻訳して出されたそうです。葉石先生は、「違うって素晴らしい!」「違っていいんだ!」と、お互いの価値観を認められることが国際理解(異文化理解)ではないかと考えられているそうです。"I can make a difference!"と、違いを評価するアメリカの異なる者への受け入れ姿勢をヒントに、将来の先生達のMotivationが高まっていくことを願っているそうです。
高梨先生は、ご自身のビジネスを通しての海外経験をお話くださいました。旧共産圏の国々での経験や中近東などでの物流のお仕事を通しての経験をお話くださいました。また、国境の問題でもめている国々についても、学生達に質問を投げかけながらお話くださいました。将来の教員を目指す学生達には「機会があったら、外国に行って学校を見学するといい」とおっしゃり、学校の文化の違い、日本の学校の良いところを見てきて欲しいそうです。
3人の先生方のお話の後、質問もいくつか出て、予定時間を随分オーバーしましたが、学生達は1人も帰ろうとしませんでした。高梨先生がおっしゃっていたように、異文化(外国でなくても、日本の中でも自分にとって非日常的な場面はあります。例えば、在日韓国人街、在日外国人がよく行くマーケットなど)に飛び込み、自分自身がマイノリティ(少数派)になるという経験は、マジョリティ(多数派)の1人として育ってきた私達には必要かもしれません(もちろん、無防備に飛び込むのではなく、きちんと知識と自分自身の安全管理を確認した上での体験が前提となりますが)。一時的にでも、日本にいるマイノリティの子供達の気持ちや立場を理解するための良い経験になると思います。そして、私達が「日常」として「当たり前」に思っていることも、視点が変わると「当たり前ではない」ということに気がつくかと思います。
鈴木先生、葉石先生、高梨先生、本当にありがとうございました。