由比が浜は鎌倉の町の前面に広がる浜で,鎌倉時代には「前浜」と呼ばれていました.鎌倉の中心路である若宮大路はここから始まり鶴岡八幡宮まで一直線につながっています.発掘は一の鳥居付近で行われました.
こちらは一度に穴に放り込まれた状態で出てきたおびただしい数の人骨.大量の人が一度に死んだことを表しています.疫病や大地震などの災害が考えられます.(合掌)
刀のつばの部分にさしておく「こうがい」です.整髪に使います.(左写真) 右は飾り物で使い道は不明です.どちらも鹿骨製です.
これまでの発掘で分ったこと 1.鎌倉時代の中期ごろの前浜は集団墓地だったということ.
2.それらの墓地には供養塔や墓碑がないこと.
3.集団墓地にあるとき大量の死者が埋葬されたこと.疫病か災害で亡くなった人々と予想されます.
4.人口の増加とともにその墓地の上にも家が作られていったこと.
5.あとから来た人が人骨を掘り返していること.
6.頭蓋骨だけは供養したらしいこと.
7.住居以外に商店や工房があったらしいこと.
8.無計画,無秩序にそれらが作られていったこと.
参考資料「鎌倉におきた地震」 ・1240/03/17,延応2/02/22
・1241/03/20,仁治2/02/07 (大地震)
・1241/05/15,仁治2/04/03 (大地震)由比ケ浜の鶴岡拝殿が破壊.
・1247/12/24,宝治1/11/26 (大地震)
・1253/03/25,建長5/02/25 (大地震)
・1253/05/08,建長5/04/10 (大地震)
・1293/05/20,正応6/04/13 (大地震)建長寺などが焼失し,死者が2万3000人に及ぶ.
・1305/04/30,嘉元3/04/06 (大地震)
・1307/04/04,徳治2/03/02 (大地震)
・1316/08/11,正和5/07/23 (大地震)
・1323/06/07,元亨3/05/03 (大地震)
詳しいことは今後の研究にまかされますが,当時の庶民が雑草のように生きていたことや,死者に対する感覚が現代人とかなり違うことの一端に触れたような気がします.また,人口の急増による都市の膨張など,今日の都市問題に共通する部分もあります.
今後の研究に大いに期待しましょう.