館蔵資料の紹介 2020年
玉川大学教育博物館 > 館蔵資料の紹介 > 2020年 > 體操圖解(たいそうずかい)
天野 皎 編述 長野亀七ほか 発行
縦21.9×横16.0㎝ 1874(明治7)年
明治政府は体育教育の近代化に努めた。1872(明治5)年には学制が発布され日本の近代教育の基礎が確立されるが、第27章では下等小学の教科の一つに「体術」が挙げられている。1873年の改正小学教則(明治6年5月公布)では『榭(しゃ)中體操法圖』『東京師範学校體操図』が小学校体操のテキストとして指定された。1876(明治9)年には文部大輔の田中不二麿がボストンのアマースト大学で「体操」の授業を視察した。
このような日本の体育教育の揺籃期に発行された教科書の一つが『體操圖解(たいそうずかい)』である。
これは体操の図解説明書である。この当時の体操は技を競いあう競技ではなく、身体を健康に保つための術であった。本資料の例言の冒頭にも「夫(そ)レ体操ノ用タルヤ身体ヲ健全ニシ欝憂ヲ暢達(ちょうたつ)スルニ尤(もっと)モ趹(か)クベカラザル妙術ニシテ……」とある。
このページでは両手を前後に伸ばす運動と両手を左右に振る運動をイラスト入りで説明している。この教科書を参考にしながら、教員たちは教育現場で体操の指導をしたのであろう。