アサギマダラは学名を Parantica sita といい、インドのカシミール地方で採集された蝶にコラーが一八四八年に命名した。一方、クジャクチョウは Inachis io といい、一七五八年リンネによって命名された。リンネはスウェーデンの博物学者で、二命名法と呼ばれる生物の分類法を考案した人である。すなわち、生物の種を区別し分類する方法として、それぞれの独立した種に属名と種名を与えたのである。分類学上、アサギマダラは動物界−節足動物門−昆虫綱−鱗翅目−マダラチョウ科−アサギマダラ属(Parantica)−アサギマダラ(sita)となる。クジャクチョウは目までは同じで、タテハチョウ科−クジャクチョウ属(Inachis)−クジャクチョウ(io)となるわけである。
アサギマダラの種名 sita(シーター)、クジャクチョウの種名 io(イオ)のどちらも神話に登場する女神にちなんで付けられたという共通点がある。
シーターは古代インド神話に登場する。紀元二世紀頃完成したとされる二大叙事詩のひとつでヒンズー教の聖典ともなっているラーマヤナによれば、シーターはヒンズーの三主神の一人であるヴィシュヌの妻である。神話によると、ヴィシュヌが化身したコーサラ国の王子ラーマは、ある時デーハ国ジャナカ王の王女の婿選びに参加した。そして見事その王女を射止めたのである。その王女が今でもヒンズー教徒の理想の女性として崇められている美貌で貞節な女神シーターなのである。アサギマダラはもともと南方系の蝶であるが、子供時代を過ごした仙台付近では真夏に蔵王のような高山を舞っていた。東京付近では高尾山でよく見かける。この蝶はフワリフワリと優雅に舞ってヒヨドリバナという名の野草の花に吸蜜する。この蝶を採るには一振りでネットに入れなければならない。ゆっくり飛ぶので簡単に採れそうにも思えるが、目算を誤ると、驚いた蝶は天空高く舞い上がり、ついには点になって大空の中に吸い込まれてしまう。
アサギマダラは一〇〇〇キロメートルを超える長距離の渡りをすることが最近の日本のアマチュア研究家たちによって明らかにされた。九月の初め頃になると関東近辺では南下を前にしたアサギマダラが標高一〇〇〇メートルほどの山地に集まってくる。蝶愛好者達がそれを捕らえて、羽の半透明の膜にサインペンで日付けと採集地を書き込んで放す。それが再び捕まると、蝶の渡りのコースがつかめる。例えば秋に箱根で放した蝶が奄美諸島の喜界島で捕まった例や、奈良の生駒山で放した蝶が一七〇六キロメートルもの旅をして沖縄県の与那国島で捕まった例などがある。このようなマーキング調査で、アサギマダラは南方の島々から春から夏にかけて本州の山々に飛来し、そこで繁殖して秋に又南国へ帰ると考えられている。天を舞い海を渡って長距離移動する飛翔力の強いアサギマダラに、天空地を三歩で闊歩したというヒンズー教の神ヴィシュヌにまつわる種名が付けられた事の不思議さを感じずにはいられない。
クジャクチョウの種名イオは、ギリシャ神話に出てくる河の神イナコスの娘の名にちなんで付けられた。イオは神々と人間の父と呼ばれているゼウスの若き恋人である。ゼウスは嫉妬深い妻のヘラの目を逃れるため、イオを牝牛の姿に変えた。ヘラはそれを見破り、一〇〇個の目を持つアルゴス(星空)に命じて昼夜を通してその牝牛を見張らせた。それを知ったゼウスは親友のヘルメスにアルゴスの首を落とすよう依頼した。ヘルメスは笛を吹きながら長くたいくつな物語を話して、同時に眠ることはないとされる一〇〇個の目を眠らせ、首をはねた。ヘラはアルゴスを悼んで一〇〇個の目を自分が寵愛するクジャクの尾にちりばめた。これがクジャクの尾にある光輝く眼状紋の由来ということになっている。クジャクチョウにはその紋が大きく四個付いているのである。
クジャクチョウはアサギマダラとは反対に北方系の蝶である。ヨーロッパ大陸からアジアの北部にかけて広く分布し、日本がいちばん東端の分布地にあたる。仙台から北の地では平地にも飛んでいるが、東京付近では比較的高い山地に限って棲息している。年に二回六月と九月に発生するが、九月に発生する蝶の方が圧倒的に多い。何年か前美ヶ原に行った時、一面に咲き乱れる薄紫のマツムシソウの花一個一個に一頭づつクジャクチョウが止まっているという実に壮観な光景に遭遇した。しかし何度も通っている高尾山ではまだその姿を一度も見かけない。