ウスバカゲロウの幼虫アリジゴクは、成虫の優雅な姿とは似ても似つかない。全身砂色で、小さな頭に不似合いに大きなクワガタのような大顎を付け、背中はズングリしたワラジ形でしわが何段にも刻まれている。これが子供の頃見た何かの図鑑に載っていた絵の記憶によって私の頭の中で造り上げられたアリジゴクのイメージである。
こんな恐ろしげな名前で呼ばれている幼虫の生活ぶりは、まさに忍者である。アリジゴクは人家の軒先のような乾燥した地面に獲物を捕らえる罠を仕掛ける。それは噴火口のようなスリバチ状をしており、その斜面は細かくてさらさらになった砂で出来ている。その壁は、罠に落ちたアリが這い登ろうとしても少しずつ崩れる。もがくうちに砂鉄砲まで飛んできて、たまらずに足をふみはずしたアリは、底に潜む忍者のおおきな顎につかまってしまう。アリに限らず、スリバチに落ち込んだ小昆虫、ダンゴムシ、クモ等は、すべてその餌食になる。
このスリバチ罠がわが家の軒先にもあることは以前から頭の片隅に潜んでいた。「アリジゴクの実物を見てみなきゃ」この文を書くにあたってそんな目的意識が急に芽生えた。
ある晴れた日曜日、無意識の意識を辿って家の西側のポイントに行ってみると、想像していたとおりスリバチ罠がいくつもできていた。早速移植ベラで掘り起こしてみたが、何回トライしてもお目当てのアリジゴクはとんと見あたらない。そこである戦略を思いついた。アリジゴクの好みそうな場所にお皿を沈めておきそこにスリバチを作らせようという作戦である。はじめは穴の深さにみあった深さのお皿を砂に沈めてみたが、いっこうにその中に罠を作る気配がない。どうしてだろうとしばし考え、ハタと思い当たった。スリバチの深さプラス逃げるための地下道の深さがないと不合格となるのかもしれないと。そこで砂の深さを3センチ程とした。次の日に見てみると、ねらい通りその中に何個かスリバチが出来ている。このようにして捕らえたアリジゴクをしげしげと眺めてみると、イメージでは気づかなかったこともある。まず体全体が土粒とそっくりである。つまり土粒に擬態しているのである。もう一つ気づくことは三対の足の中央の一対が飛び抜けて長い。第三にこの虫を砂の上に置くとあたかも蠕動運動のようにおしりをピクピクさせて砂に潜り込んで行く。潜るのに足や顎はほとんど使っていないようである。中央の長い足はいつも大の字に広げており、さらさらした砂の海で体の水平を保つ役目をしているのではないだろうか。砂に潜ってしまうと行動は観察できなくなってしまうのだが、想像するに砂の底で向きを変えながら大顎で砂をはね上げ、自分を中心としたスリバチ状の落とし穴を作っていくのであろう。アリジゴクが乾燥した場所を好むのは、湿っていてはこのスリバチが作りにくいし、たとえつくっても砂スリバチの地獄効果が発揮されないためであろう。
こんな罠作りの名手であっても待ちの一手しか知らないアリジゴクは、いつも餌にありつけるとは限らない。そのため、天から降ってきたご馳走は無駄なく吸収しなければならない。見たわけではないが、アリジゴクの肛門は閉じたままであるという。
運の良いアリジゴクは卵からふ化して二年ほどで蛹になり、すぐ羽化するが、運が悪いと三年もの長い忍者生活をじっと我慢の子で過ごさなければならない。そのためか、軒下には月面のクレーターさながらに大小さまざまのスリバチが並ぶ。羽化するときに、長い幼虫時代にため込んだ宿便を一気に排泄する。こうして、やっと六月から九月にかけて天女の羽衣をまとって飛び立つのだが、その美しい姿は陽炎のたとえのように一〜二週間のはかない命なのである。
日本のウスバカゲロウは数種類に分けられている。しかしお互いに良く似ており、玉川学園には何種類が住んでいるのか、そしてどの種類なのかが僕にはさだかではない。ときどき校舎内に迷い込んでいるウスバカゲロウを捕まえてみると、姿に似合わず気が強く、指に思いきりかみついてきて、アリジゴク時代の三つ児の魂を思い知らされる。