中国の国営通信、新華社は22日、中国の長江(揚子江)下流の新石器時代の上山遺跡(浙江省浦江)から、約1万年前の世界最古の栽培稲のもみ殻が見つかった、と伝えた。新華社電によると、これまで最古の栽培稲は長江中流の遺跡などで見つかった8000年前のものとされており、稲作の起源はさらに約2000年さかのぼることになる。
同省の考古学研究所などが調査した結果、上山遺跡で約1万年前の土器とともに大量の稲のもみ殻が出土。もみ殻を調べたところ、野生種より長さが短く、幅は逆に太い栽培稲の特徴が確認できたという。
専門家は今回の結果について「長江下流が稲作の発祥地の一つであることを裏付けた」との見方を示した。
中国では1990年代に長江中流域の玉蟾岩遺跡(湖南省)や仙人洞(江西省)で1万年以前とされるもみ殻も見つかっているが、栽培種か野生種か明確でないことなどから、稲作の起源とはされていない。
稲作の起源をめぐっては近年、長江流域での発掘成果が注目され、長江下流域の草鞋山遺跡では約6000年前の水田遺構も発掘されている。(北京・共同)
毎日新聞 2005年1月23日 記事
これまでインドのアッサム地方が原産と言われていた栽培稲は近年の発見にもとづく研究で「インディカ種」はアッサム地方,「ジャポニカ種」は中国と言われてきました.どちらも紀元前6千年ころと言われていました.
ところが今回の発見によって稲の栽培そのものが中国からはじまったという可能性も出てきたと言うわけです.一方世界最古の土器が発見されている日本ですが,もしかしたら日本でも早い段階から稲作が伝わったかもしれないという可能性が出てきました.なぜなら土器はモノを煮炊きする道具であり,農耕とも密接な関係があるからです.現在日本最古の稲の痕跡は縄文時代前期の岡山県朝寝鼻移籍から発見された稲独特の細胞「プラントオパール」です.この発見によって日本でも今から6〜7千年前に稲作があった可能性があると言われてきました.
長江下流域から黒潮と言う海の道でつながっている日本は,中国の人やモノが意外に早く簡単にくるのです.これも早くから農業の技術が日本にきた可能性の大きな要素になります.そのうち日本でも縄文時代の耕作あとが発見されるかも知れません.
日中の学者が連携して研究が進むといいですね・・・・
ゲンボー先生