政所(まんどころ)のあと

幕府を開いた頼朝は平氏や藤原氏との戦のためにまず「侍所」(さむらいどころ)という役所を作りました。これは武士をたばねて命令を出す役割を持っています。次に「政所」を作りました。はじめは頼朝一家の家計をとりしきるものでしたが、幕府全体のお金の出入りについてまとめる役所になりました。戦争をするのにも、建物をつくるのにも、行事を行うにもお金がかかりますね・・政所はそうしたことを行う上でとても大きな役目を持っていたところなのです。この場所にはその政所があったといわれています。鎌倉の中心地ですね・・

おまけの話しですが、平氏との戦争が終わると、領地の境やあとつぎのことを公平に取りあつかう役所が必要になりました。その役所を「問注所」(もんちゅうじょ)といいます。今でいうと裁判所ですね・・武士にとって領地は一族のはんえいを左右する命でもあります、その境界をはっきりすることや、あとをだれにつぐかをちゃんと決めなくてはなりません。これは幕府を支えている御家人にとってとても大切なことだったのです・・・「侍所」と「政所」と「問注所」は幕府を支える三つの柱だったのです。