吉野ヶ里遺跡は佐賀県にあります.
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弥生時代の後期は日本の各地に「クニ」ができた時代で,ここ吉野ヶ里もそうした遺跡の一つです.
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庶民の家
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その出入り口.
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庶民の家は昔ながらの竪穴住居でした.
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外敵からクニを守る環濠(かんごう=ほり)こうした村のことを環濠集落と呼びます.
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敵の侵入を防ぐ柵と物見のやぐら.
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やぐらは立派な柱でがんじょうに作られていました.
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魏志倭人伝には「倭国大乱」つまり日本の国内で戦争が続いた,と記されていました.
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銅鐸は合図の鐘でもあり,王の大切な持ち物でした.
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支配者の住む中心部には立派な建物が造られました.
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入り口の門には豊作を祈る鳥がのっています.これが鳥居の原型です.
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中心部はさらに厳重に守られていました.一般人の入れない場所でもあったと思われます.
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現在の4階建てに匹敵する支配者の館.ただしこれは発掘ででた柱の穴を元に想像して復元されたものです.
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支配者の館と物見のやぐら.吉野ヶ里が立派なクニであったことの証のような風景ですね.
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館の中では実力者が話し合っています.
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神様にお告げを聞いている巫女(みこ)
邪馬台国の女王「卑弥呼」もこうして神の言葉を伝えていたのでしょう.
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中心部にある支配者の館と物見のやぐら.そして従者の住まい(手前)
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集団墓地(手前)と王族の墓(向こうの高台)
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九州地方に多い甕棺(かめかん)です,
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吉野ヶ里ではたくさんの甕棺が出土しました.
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機織り具の模型.当時から絹が作られていたと考えられています.
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石包丁と稲の穂.今と違って,稲は穂の部分だけをとっていました.
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臼と杵(うすときね),これでお米を脱穀したり,精白していました.もしかしたらお餅も作っていたかもしれません.
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ガラス製の管玉.男女を問わずつけていた装飾品です.
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発見された甕棺の一部.
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権力者が葬られていたと思われる甕棺内部から美しいガラス製管玉と立派な銅剣が発見されました.
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環濠断面の土.大きな粘着布に貼り付けてはがしたものです.環濠が深く急だったことが分かりますね.この中に落ちた人間は上から弓矢で撃たれたことと思います.
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吉野ヶ里が栄えた頃は,クニどうしが戦いあって,やがてもっと大きなクニになっていく時代だったのです.この風景はそうした時代を表していますね.
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吉野ヶ里遺跡を流れる川・・・この水が稲を作ったのでしょう.
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