円筒分水川崎市高津区)

玉川大学・玉川学園

川崎市高津区久地にある円筒分水は農業用水を公平に分配するために昭和16年に多摩川右岸農業水利改良事務所長であった平賀栄治(1892〜1982)による設計によって作られました。現在は農業用水としての役割を終えましたが、現存する初期の円筒分水として貴重な存在になっています。

江戸時代の初めに徳川家康より治水と新田開発を命じられた代官小泉次太夫は、約14年の歳月をかけて二ヶ領用水を完成させ、流域の60ヶ村2007町歩の水田を潤し米の収獲量は飛躍的に伸びました。

二ヶ領用水は当初久地に設置された分量樋によって「久地二子堀」「六ヶ村堀」「川崎堀」「根方堀」の4本の堀に分水されていました。しかし、水の流量や水位によって分水される量は変化がはげしく公平な分配は難しかったと言われています。新田の開発とともに耕地面積も増え、やがて水不足の時には水をめぐっての争いもおきました。

近代になって平賀は大雨になると二ヶ領用水に流れ込んでいた平瀬川の下に二ヶ領用水を引き込み、噴水のように吹き出る用水の水をプールのような円筒でうけとめ、それを百分率の割合で水を公平に分けるシステムを作り上げました。これが今日残る久地の円筒分水です。

多摩川河岸は肥沃な沖積地ですが砂地気味で水田の開発は困難でしたが、これによって広い面積が公平に灌漑され、以後水をめぐっての争いはなくなりました。今日川崎市は市街化が進み農業地は減りましたが、水はけの良さと豊富な水のお陰で「多摩川梨」の産地として有名になりました。これも400年前に作られた二ヶ領用水と60年前に作られた円筒分水のお陰というわけです。

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円筒分水の全景。真ん中の円の下から二ヶ領用水の水が湧き上がってきます。
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外側の円の縁にある用水の取り込み口。割合によって幅が違います。
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分配された水はこのように用水を通ってそれぞれの地域に流れていきます。
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分配された水です。
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湧き出ている様子が分かりますか?
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水が分けられている様子がよく分かりますね・・

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円筒分水の構造図・・看板にありました。
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分配されたあとの水路・・水の量が違います。

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同じく分けられたあとの水と用水です。
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せき止められた二ヶ領用水のあまった水。平瀬川と合流します。
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この水門から円筒分水に水が送られる・

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完成当時の写真です。


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円筒分水脇の説明版。

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多摩川をせき止めている宿河原堰。

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アングルをかえて・・

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二ヶ領用水の取り込み口は二箇所・・これは宿河原堰の取水口。

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二ヶ領用水

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中之島からきた二ヶ領用水と宿河原堰からの水の合流点。

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アングルをかえて

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二ヶ領用水の図

※川崎市パンフレットより

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資料製作・著作 多賀譲治

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